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トレンド・注目ワードに関連する写真素材・ストックフォトを特集 2014年の大河ドラマの主人公、黒田官兵衛ゆかりの地を特集

2014年の大河ドラマの主人公は黒田官兵衛孝高。戦国一の軍師として知られ、生涯に渡り50以上の戦で1度も負けることがなかったといいます。アマナイメージズでは来年の放送に先駆け、西日本・九州を中心に数々の戦で全国を駆け抜けた官兵衛の足跡を辿るゆかりの地を集めました!
早くも盛り上がる“官兵衛生誕の地”姫路や“晩年の地”福岡を中心に、2014年の国内観光スポットとして注目される「黒田官兵衛ゆかりの地」を是非ご覧ください。

生誕の地 播磨

天文15年11月29日(1546年12月22日御着城主・小寺政職の家老をつとめていた黒田職隆の嫡男として播磨国(兵庫県)姫路城で生まれる。永禄10年(1567年)頃、孝高は父・職隆から家督と家老職を継ぎ、小寺政職の姪にあたる櫛橋伊定の娘の光(てる)を正室に迎え、姫路城代となった。

  • 姫路城 作品番号 10369000213姫路城(白鷺城)官兵衛が生まれ、最初に城代となった城。今日の姿は関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によるもの。
  • 工事中の姫路城 天空の白鷺 作品番号 10254005007天空の白鷺修理工事の完成が近づいた姫路城大天守の外観を間近で見ることができる姫路城大天守修理見学施設。
  • 御着城跡 作品番号 26121014684その他ゆかりの地若き官兵衛が仕えた小寺氏の御着城跡や黒田官兵衛顕彰碑、黒田家ゆかりの寺社、父職隆の廟所、今話題の竹田城など、姫路近辺のゆかりの地。

注目の戦スポット

青山・土器山の戦いで信長、秀吉からも一目置かれるようになった官兵衛。有岡城の戦いでは1年以上有岡城の牢に幽閉されるが、落城とともに救出され秀吉の軍師となる。本能寺の変では「中国大返し」で秀吉の天下取りを演出、軍師としての名を上げる。
秀吉の天下取りを陰で支えた軍師・官兵衛が武功を上げた、注目の戦スポット!

  • 青山古戦場跡 作品番号 26121014806青山・土器山の戦い(1569年)三千の兵を率いて姫路城に攻め込んだ西播磨半国守護代・赤松政秀を僅か三百の兵で撃退し、官兵衛の名を世に知らしめた戦い。
  • 有岡城跡(伊丹城) 作品番号 25805014878有岡城の戦い(1578年)織田家重臣・荒木村重が謀反を起こし有岡城に籠城した際、主君の小寺政職も呼応したため、官兵衛は有岡城に乗り込むが村重の説得に失敗、1年以上有岡城の牢に幽閉された。
  • 高松城・艮櫓 作品番号 11076011062備中高松城水攻め(1582年)毛利氏の武将・清水宗治が守る備中高松城攻略の際、巨大な堤防を築き水攻めにした。晋の智伯の晋陽城水攻めからヒントを得たといわれる低湿地の沼城の利点を逆手に取った奇策。
  • 秋月城跡 紅葉 作品番号 22589000033九州征伐(1586年)九州征伐の際、毛利氏などの軍勢の軍監として九州に上陸。宇留津城、香春岳城などを陥落させ、豊臣秀長陣営の先鋒を務め島津義久の軍勢との根白坂の戦いで戦勝に貢献した。
  • 小田原城 作品番号 25620010663小田原征伐(1590年)小田原征伐で小田原城に使者として赴き、北条氏政・北条氏直父子を説得し、無血開城させた。この時、北条氏直から名刀「日光一文字」などの家宝を与えられた。
  • 馬防柵 作品番号 10372002093関ヶ原・石垣原の戦い(1600年)秀吉の死後関ヶ原の戦いの際、如水は九州で挙兵する(石垣原の戦い)が、関ヶ原の戦いが半日で家康方の勝利で終わったため、兵を退く。官兵衛が唯一天下を狙った戦といわれる。

築城の名人

築城の名手として知られ、居住した中津城や福岡城の他、前野長康や浅野長政らと共に、姫路城、大坂城、讃岐高松城、名護屋城(肥前国)、広島城など、秀吉政権下での主要な築城に関わり、縄張りや助言を行った。加藤清正は、自身の城は3、4日で落ちるが、福岡城は30、40日は落ちないなどと賞賛している。(「縄張り」とは曲輪や堀、門、虎口等の配置のことを指し、これが城の善し悪しを決めと言われる。)

  • 中津城 作品番号 01597015170中津城九州平定後、秀吉に豊前国の中の6郡を与えられ中津城を築城。大阪から離れた僅か12万石の中津しか与えられなかったのは、秀吉が官兵衛を恐れていたからともいわれる。
  • 福岡城 作品番号 25403003490福岡城元々の地名「福崎」を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改め、如水(官兵衛)最後の城として築城された福岡城。
  • 大阪城天守閣  作品番号 10131012894手掛けた城官兵衛は秀吉の下で多くの城の築城に関わり、大阪城・讃岐高松城・名護屋城の縄張を手掛け、広島城の築城にも関わったといわれる。

如水と号した晩年

天正17年(1589年)家督を嫡男・長政に譲り、如水と号す。関ヶ原の合戦の後、家康に組した長政が勲功として筑前国名島(福岡)へ加増移封となり、如水も筑前へと移る。晩年は再建に努めた太宰府天満宮内に草庵を構え、慶長9年3月20日(1604年4月19日)、京都伏見藩邸にて59歳でこの世を去った。

  • 太宰府天満宮 作品番号 10171004892太宰府天満宮戦火に焼かれて荒廃していた太宰府天満宮を寄進・再建し、中興の祖と崇められた。ここに草庵を構え、茶の湯に親しんだ。
  • 崇福寺 福岡藩主黒田家墓所 作品番号 10521000898黒田家菩提寺福岡藩主黒田家の菩提寺、崇福寺には黒田家歴代墓所があり、如水(官兵衛)や長政をはじめとする黒田家の藩主が眠る。また、東長寺にも黒田家の墓がある。
  • 光雲神社 水牛の兜像 作品番号 10521000935その他ゆかりの地長政が愛用した水牛の兜像のある光雲神社や、聚楽第の東北部(現在の京都市上京区一条通)にあったとされる邸宅跡など、晩年の官兵衛ゆかりの地。

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戦国の武将たち

キリシタン大名・黒田官兵衛の人物像


官兵衛はドン・シメオンという洗礼名を持つ敬虔なキリシタンであり、生涯1人の側室も持ちませんでした。
また、秀吉が自分に疑念を抱くと知ると44歳の若さで家督を譲り剃髪するなど、「人に媚びず、富貴を望まず」という言葉の通り、下剋上の戦国の世にあって無欲で信義を貫く人物であったと伝えられています。
晩年は当主となった嫡男長政に忠誠を向けさせるため家臣に冷たく接し、長政に家臣を遺すために自分が死んだ際も家臣が追腹を切ることを禁じたと言います。これは自殺を禁じるキリシタンとしての信条もあったのかもしれません

姫路城・十字門の鬼瓦 作品番号 10254005011

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